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REQUIEM/People/いまい のぶお
今井信郎の写真
明治時代

幕末 · 京都見廻組隊士 → 幕府歩兵隊 → 明治維新後は神官・農業

変節の証人

今井信郎

いまい のぶお

京都見廻組の隊士として龍馬襲撃に関与し、明治になってから「自分が斬った」と自供した男。だが自供の内容は時期によって揺れ、真実はどこにあるのか——晩年77歳まで生き、証言を繰り返した「変節の証人」。

Summary · 概要

どんな人だったか

今井信郎は、幕末の武士でありながら、明治まで生き延びた稀有な人物だ。京都見廻組の隊士として京都の治安維持に従事し、戊辰戦争では幕府歩兵隊として会津・函館まで転戦した。

彼の名を歴史に刻んだのは、明治3年(1870年)の自供だ。「坂本龍馬を斬ったのは自分だ」——新政府の刑部省に自ら申し出た。禁錮刑(2年余り)で釈放され、以後は神官として各地を転々とし、晩年は静岡で農業に従事した。

問題は、自供の内容が時期によって矛盾していることだ。実行者・同行者・命令系統が、回想記や証言によって異なる。なぜ自ら罪を名乗り出たのか、何を守るために曖昧な証言を繰り返したのか——77年の生涯の最後まで、今井は「変節の証人」であり続けた。

Life Timeline · 生涯の道のり

今井信郎
年代で追う

  1. 1841年0歳

    武蔵国(現・東京都)で誕生

    旗本・今井義胤の長男として江戸で生まれる。旗本=徳川家の直臣。武士としての血統は高かった。幼名は源四郎。

  2. 1850年代10代後半

    直心影流の剣術を学ぶ

    当時の剣術界で主流だった直心影流を修行。幕末の剣客として名を上げる基盤を築いた。

  3. 1864年23歳

    京都見廻組に入隊

    幕府の治安維持部隊・京都見廻組に入隊。佐々木只三郎の指揮下で、京都市中の浪士取り締まりに従事した。

  4. 1867年11月15日26歳

    近江屋事件——実行犯の一人

    近江屋で龍馬襲撃に参加。後年の自供によれば、階段を上がって龍馬と中岡を斬ったのは今井自身だったとされる。

  5. 1868年1月27歳

    鳥羽・伏見の戦い

    見廻組隊士として戊辰戦争に参戦。指揮官・佐々木只三郎は負傷して死去した。

  6. 1868年27歳

    会津、そして函館まで転戦

    敗走する旧幕府軍と行動を共にし、会津、榎本艦隊の函館・五稜郭まで行軍。最後の武士の戦場を駆け抜けた。

  7. 1869年28歳

    函館・五稜郭で降伏

    戊辰戦争終結、函館で降伏。他の旧幕臣と共に新政府に引き渡された。

  8. 1870年10月29歳

    「坂本龍馬を斬った」と自供

    新政府の刑部省に対し、「龍馬暗殺の実行者は自分だ」と供述。京都見廻組による犯行であったことを初めて公式に明かした。

  9. 1871年30歳

    禁錮刑を宣告、短期で釈放

    罪としては比較的軽い禁錮刑。2年余りで釈放される。新政府が「名誉ある武士として扱った」のか、「罪の認定を曖昧にした」のか、判断は分かれる。

  10. 1870年代30代

    神官として各地を巡る

    釈放後、神道界に入り、各地の神社で神官を務める。武士としての身分を離れ、新時代の中で新たな生き方を模索した。

  11. 1900年代以降60代-70代

    龍馬事件の回想を繰り返す

    晩年、新聞記者や歴史家の取材を受け、龍馬事件を繰り返し語った。だが内容は時期によって変遷し、真相をあえてぼかしていたとの疑いが生じる。

  12. 1918年6月25日77歳

    静岡で没す

    最後は静岡県で農業に従事していた。77歳で没した。龍馬暗殺の「唯一の自供者」でありながら、真相の全容を語らずに死んでいった。

Personality · 人物像

どんな人柄だったか

今井の人物像は、二面性に満ちている。幕末期は忠実な見廻組隊士——命令に従って龍馬を襲撃した。戊辰戦争では最後まで戦った旧幕府軍の一員。この段階では、典型的な「武士としての忠誠」を体現した。

だが維新後、今井は驚くほど早く新時代に適応した。神官となり、農業に従事し、新聞の取材にも応じる。武士の身分を捨てることに抵抗はなかった。この順応力は、佐々木只三郎が戦死して貫けなかった「生き延びる道」だった。

そして最大の謎は、自ら罪を名乗り出た動機だ。なぜ1870年に「自分が斬った」と自供したのか。武士の誇りか、仲間を守るためか、取引の結果か——本人は語らず、何度か異なる説明をした。「変節の証人」という称号は、この曖昧さそのものを示している。

Anecdotes · 逸話

語り継がれる場面

No. 01

自ら罪を名乗り出た謎

1870年10月、新政府の刑部省に、今井信郎は自ら出頭した。「坂本龍馬を斬ったのは自分だ」。

当時、龍馬暗殺の実行犯は公式には未特定だった。新選組が疑われたり、薩摩派が疑われたりしていたが、確たる実行犯はいなかった。今井の自供は、突然の「決着」をもたらすものだった。

なぜ彼は自ら名乗り出たのか?

**動機1: 武士の誇り** 「自分がやったことは事実。隠さず罰を受ける」という武士の美学。だがこれは後付け的で、自供までの2-3年の沈黙の説明にはならない。

**動機2: 仲間を守るため** 「単独犯」として自供することで、同行者や命令者(佐々木只三郎=既に死亡)の罪を被る。これが最有力の説。

**動機3: 取引** 新政府と何らかの取引があり、自供の代わりに軽い刑と保護を得た。これも説得力はある。

どれも決定的ではない。今井は、生涯この「自ら名乗り出た理由」を明確に語らなかった。

No. 02

自供内容の変遷——時代ごとの証言

今井は、明治3年の公式自供以降も、何度か龍馬事件について証言している。問題は、その内容が時期によって食い違っていることだ。

**1870年の自供**: - 実行者は自分と、桂早之助ら数名 - 命令者は佐々木只三郎 - 龍馬を斬ったのは自分

**1900年頃の新聞取材**: - 実行者は自分と、別の隊士たち - 命令者については曖昧に - 龍馬を斬ったかどうかも曖昧

**晩年の回想**: - 更に異なる証言 - 現場にいたことは認めるが、実際に斬ったかどうかは不明瞭

この変遷が、歴史家たちを困惑させた。真実を隠しているのか、記憶が曖昧なのか、意図的な誤導か。

近年の研究では「自供は事実に近いが、誰が命令したか・誰が実際に斬ったかは、今井自身が守っていた秘密がある」との見方が有力。命令系統の上部、あるいは同行者の名誉を守るための「意図的な曖昧さ」だった可能性。

No. 03

神官から農民へ——変節の人生

今井の維新後の生き方は、幕末の武士としての姿とは対照的だ。

釈放後、彼は神道界に入り、伊勢神宮や各地の神社で神官として働いた。「神に仕える」ことで、過去の血を贖おうとしたのかもしれない。

だが神官としての生活も長続きせず、40代以降は各地を転々。晩年は静岡県で農業に従事した。元旗本・元見廻組隊士・龍馬暗殺の実行犯——誇るべきか、隠すべきか、今井自身も決めかねていたのだろう。

「変節」の意味は、主義主張を変えることだけではない。生き方そのものを時代に合わせて変え続けること。今井の人生は、幕末の武士が明治を生き抜くために経た変容の、一つの極端な形だった。

No. 04

「龍馬を斬った男」の末裔

今井信郎の子孫は、現在も存在する。明治以降、今井家は地方の名士として各地で続いている。

興味深いのは、子孫が「坂本龍馬を斬った男の末裔」であることを、誇るでもなく、恥じるでもなく受け入れている事実だ。龍馬ファンが多い現代の日本において、これは微妙な立場ではあるが——子孫たちは「時代が違う。祖先は職務を全うしただけ」と冷静に語る。

歴史の当事者と、その末裔と、歴史を受け取る現代の私たち。それぞれの距離の取り方が、この事件の奥行きを作っている。

今井が自ら「自分が斬った」と名乗り出たとき、彼は子孫の立場まで考えていなかっただろう。だが150年後、その自供が「家の歴史」として末裔に引き継がれている事実に、歴史の重さがある。

Relationships · 関わった人々

人は、人との関係で動く

佐々木只三郎

上官・指揮官

京都見廻組の与頭として、今井の直属の上官。近江屋事件の指揮者とされる。戦死のため、今井が後年「只三郎の命令だった」と証言した際、反論する者はいなかった。

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坂本龍馬

自供上、自ら斬ったと認めた相手

1870年の自供で、自分が斬ったと認めた相手。ただし実際に直接の刀傷を負わせたのが今井か他の隊士かは、証言が揺れる。

詳しく

桂早之助

同僚・近江屋同行者

見廻組隊士。今井の自供によれば、近江屋に同行した一人。こちらも鳥羽・伏見で戦死したため、今井が自由に証言を調整できた。

近藤勇

並走する幕府側剣客

新選組局長。京都の治安維持を新選組・見廻組の二本立てで担った。近藤が近江屋事件で冤罪的に処刑されたことを、今井はどう受け止めたか。

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Related Cases · 関わる事件

REQUIEMで今井信郎に会う

Further Reading · もっと知る

学びを深める参考資料

ここで紹介する本をきっかけに、今井信郎の世界をさらに深く訪ねてみてください。

  • 01

    坂本龍馬を斬った男

    今井幸彦 · 書籍

    今井信郎の子孫が書いた、今井家の側からの回想と検証。

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  • 02

    龍馬暗殺の謎

    菊地明 · 書籍

    今井の自供の変遷、見廻組・新選組の関与を詳細に検証。

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  • 03

    京都見廻組始末記

    菊地明 · 書籍

    見廻組の全容と、今井を含む隊士たちの戦後の消息。

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Image Credit · 画像出典

今井信郎・写真·明治時代·CC0 1.0 Universal·Wikimedia Commons