REQUIEM
REQUIEM/People/さかもと りょうま
坂本龍馬の写真(幕末期・上野彦馬らの撮影とされる)
慶応年間(1860年代)

幕末 · 脱藩浪人 / 海援隊隊長

海の夢追い人

坂本龍馬

さかもと りょうま

土佐の郷士の次男に生まれ、船と世界の海に憧れた男。薩長同盟を仕掛け、大政奉還を仕掛けた——新時代の設計図を懐に、近江屋の2階で斬られた、享年31。

Summary · 概要

どんな人だったか

坂本龍馬は、日本史上最も愛された幕末志士のひとりだ。土佐藩の下級武士(郷士)の家に生まれ、剣術を修行するなかで勝海舟の門下となり、世界を知った。

彼の特異性は、「敵対する者を結びつける」能力にあった。薩摩と長州という、それまで犬猿の仲だった二藩を同盟させる。幕府に「政権を朝廷に返す」という前代未聞の決断(大政奉還)をさせる——どちらも、龍馬という仲介者なしには成立しなかった。

1867年11月15日、京都・近江屋の2階で、親友・中岡慎太郎と談笑中に襲撃され絶命。実行犯は今なお確定していない。31歳という短い生涯の、その最期の瞬間まで、彼は新しい日本の青写真を考え続けていた。

Life Timeline · 生涯の道のり

坂本龍馬
年代で追う

  1. 1836年0歳

    土佐に誕生

    土佐藩士・坂本八平の次男として、高知城下の本丁筋に生まれる。坂本家は下級武士の「郷士」だったが、商人としても成功しており、比較的豊かだった。

  2. 1848年12歳

    日根野道場で剣術修行を始める

    小さい頃は泣き虫で、姉・乙女に鍛えられたという逸話が残る。10歳前後で道場に通い始め、剣の才能を開花させた。

  3. 1853年17歳

    江戸へ剣術修行に出る、黒船来航を目撃

    北辰一刀流の千葉定吉道場で修行。折しもペリーの黒船が浦賀に来航し、龍馬は江戸湾警備に駆り出されたとも伝わる。父への手紙で「異人の首を取る」と豪語した。

  4. 1861年25歳

    土佐勤王党に加盟

    武市半平太が率いる勤王党に参加。しかし藩内の運動には飽き足らず、より大きな志を抱くようになる。

  5. 1862年26歳

    脱藩

    土佐藩を抜け出し、江戸へ向かう。脱藩は当時、捕縛されれば死罪にもなり得る重罪。後戻りのできない道だった。

  6. 1862年冬26歳

    勝海舟の門下に

    「幕府の要人を斬る」つもりで勝を訪ねたところ、世界情勢を説かれて逆に感銘を受け、その場で弟子入りを志願した、と伝わる(史実性には議論あり)。ここから龍馬の世界観は一気に広がる。

  7. 1865年29歳

    亀山社中を設立

    長崎で、日本初の株式会社とも言われる貿易商社「亀山社中」を立ち上げる。後に海援隊と改称し、龍馬の政治活動と経済活動の基盤となった。

  8. 1866年1月30歳

    薩長同盟を仲介・締結

    京都・小松帯刀邸で、西郷隆盛と桂小五郎(木戸孝允)を引き合わせ、ついに薩長同盟を成立させる。この瞬間から倒幕の機運は不可逆になった。

  9. 1866年1月30歳

    寺田屋事件で襲撃、九死に一生

    同盟締結直後、京都・伏見の寺田屋で幕府捕り方に襲撃される。内縁の妻・お龍が裸のまま階段を駆け上がって危機を知らせたことで、龍馬は脱出に成功した。

  10. 1866年春30歳

    お龍と薩摩へ——日本初の「新婚旅行」

    寺田屋事件の傷を癒やすため、お龍と薩摩の霧島へ湯治に出かける。これが日本初の新婚旅行とされる逸話。

  11. 1867年6月31歳

    船中八策を起草

    土佐藩参政・後藤象二郎と藩船「夕顔丸」で長崎から京都へ向かう道中、新政府の構想「船中八策」を口述した。後の明治維新の設計図となる。

  12. 1867年10月14日31歳

    大政奉還

    後藤象二郎を通じて建白された船中八策に基づき、将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上。無血で幕府の時代が終わった——龍馬の政治的クライマックス。

  13. 1867年11月15日31歳

    近江屋事件

    京都・近江屋の2階。中岡慎太郎と談笑していた龍馬は、十津川郷士を名乗る者たちに襲撃される。額を割られ、即死。中岡も2日後に致命傷で死去。「新時代を見ずに」31年の生涯を閉じた。

Personality · 人物像

どんな人柄だったか

龍馬を知る者の証言は、ほぼ一貫して「豪放磊落で誰とも対等に接する」像を伝える。身分制度が厳格な時代に、武士と農民、日本人と外国人、敵藩と味方藩を区別せず、対等な口調で話したという。

同時に、その奥には冷徹な戦略家がいた。薩長同盟の仲介にあたって龍馬が計算していた手の多さは、後世の研究者を驚かせる。大政奉還の建白も、数手先まで読んだ上での政治設計だった。

土佐弁を隠さず、手紙では頻繁に冗談を書いた。姉・乙女への手紙は特に有名で、ふざけた絵や軽口が散りばめられながら、真剣な志が語られる。明るさと深さが同居した、不思議な男だった。

Anecdotes · 逸話

語り継がれる場面

No. 01

「船中八策」の一夜

1867年6月、長崎から京都へ向かう藩船「夕顔丸」の船上。龍馬は船酔いで倒れる後藤象二郎を尻目に、新政府の青写真を口述した——「船中八策」。

第一条「天下の政権を朝廷に奉還し、政令は朝廷より出づべし」。つまり、大政奉還。 以下、議会の設置、新憲法、海軍の充実、陸軍の設置、金銀の取り締まり——後の明治維新の骨格が、ほぼすべてここに書かれていた。

一介の脱藩浪人が、天下の政治設計を紙に書き付けたこの瞬間が、龍馬の生涯のハイライトとして語られる。

No. 02

姉・乙女への手紙

龍馬は筆まめな男だった。特に、幼少期から自分を鍛えてくれた姉・乙女に宛てた手紙は、愛情と軽口とがないまぜになった独特の文体で知られる。

「日本を今一度せんたくいたし申候」——この有名な一節も、乙女への手紙に記されている。「せんたく」は洗濯、「もう一度日本を洗い直したい」という意味。政治の革新を、洗濯という日常の言葉で表現する感覚は龍馬ならではだ。

公式文書ではなく私信の中にこそ、龍馬の志は素直に表れた。

No. 03

寺田屋で、お龍が命を救った

1866年1月、薩長同盟を結んだ直後の龍馬は、京都・伏見の寺田屋に身を寄せていた。深夜、入浴中だったお龍(楢崎龍)が、捕り方が集結するのを察知。

着物を纏う間もなく、お龍は裸のまま階段を駆け上がり、2階の龍馬に危機を告げた。龍馬は短銃と刀で応戦し、負傷しながらも脱出に成功する。

この「お龍、裸で駆け上がる」という場面は、日本史上最もドラマチックな夫婦愛の逸話として語り継がれた。

No. 04

斬られた額の痕跡

近江屋事件で、龍馬は額を一刀のもと斬り下ろされた。即死。解剖記録には、頭頂部から眉間まで達する致命傷があったとされる。

事件現場に残された愛刀「陸奥守吉行」には、鞘から抜いた形跡がない。刀の腕が立ったはずの龍馬が、なぜ抜けなかったのか。「抜く間もないほど、相手との距離が近かった」——つまり、襲撃者は龍馬がよく知る人物か、少なくとも警戒しなかった相手だったのではないか。

この一点が、いまなお諸説を生み続けている。

Relationships · 関わった人々

人は、人との関係で動く

中岡慎太郎

親友・陸援隊隊長

土佐時代からの盟友。志を同じくする兄弟のような存在だった。近江屋で同席中に龍馬と共に襲撃され、2日後に致命傷で死去した。

西郷隆盛

薩長同盟の相手・盟友

薩摩の実力者。龍馬の仲介で長州と結び、倒幕の中心となった。ただし晩年には、穏健な大政奉還路線を取る龍馬と、武力倒幕を主張する西郷の路線対立が生じていた。

勝海舟

恩師

龍馬を暗殺しに訪ねたのに、逆に弟子入りしたという逸話で知られる師。世界情勢と海軍の必要性を教え、龍馬の視野を一気に世界規模に広げた。

お龍(楢崎龍)

内縁の妻

京都の医師の娘。寺田屋事件で龍馬の命を救い、薩摩へ日本初の新婚旅行に赴いた。事件の夜は伏見の寺田屋に残っていたため、最期には立ち会えなかった。

後藤象二郎

土佐藩参政・政治的パートナー

かつて龍馬を脱藩者として追う立場だったが、後に最大の支援者に転じる。船中八策を藩主に取り次ぎ、大政奉還の建白書を書いた。

Related Cases · 関わる事件

REQUIEMで坂本龍馬に会う

Further Reading · もっと知る

学びを深める参考資料

ここで紹介する本をきっかけに、坂本龍馬の世界をさらに深く訪ねてみてください。

  • 01

    龍馬の手紙

    宮地佐一郎 編 · 書籍

    龍馬直筆の手紙を網羅的に集めた決定版。姉乙女への軽妙な手紙も多数収録。

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  • 02

    竜馬がゆく

    司馬遼太郎 · 書籍

    小説だが、龍馬像を日本人に広く定着させた名作。史実性より人物像の描写が抜群。

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  • 03

    坂本龍馬と近江屋事件

    菊地明 · 書籍

    近江屋事件の諸説を網羅的に検証した研究書。実行犯をめぐる議論の全体像が分かる。

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Image Credit · 画像出典

坂本龍馬・立ち姿(近世名士写真より)·慶応年間(1860年代)·Public Domain·Wikimedia Commons / 国立国会図書館『近世名士写真』